welcome to "E.ART.H"


by earth_index
私がブログ(Weblog)というものを始めたのは 2007年の1月でした。
何かを発信したい という気持ちは薄く、
字義どおり、web上 に log(記録) を残しておこうと思ってのことでした。
(その思いは、今も変わりません。)
パソコンに残しておくと、ハード・ディスクが壊れて消えてしまったり、
記録メディアもころころ変わって、記憶・記録の「保管場所」として不向きだ
と思ったのです。
で、「ジオログ」というWeblog ホスティング・サービスみたいなものでブログ
を始めたのですが、空き容量がなくなってきたのとバナー広告が鬱陶しかったので、
2010年1月に この「エキサイトブログ」に乗り換えました。

ホッタラカシになった「ジオログ」も「Weblog」としては機能していたのに、
2014年にサービスが終了してしまい (終了前に「Yahoo!ブログへの移行機能」
も利用できたのですが、それも同年末終了)、まだデータは残っているものの、
困ったことに検索に引っ掛かりません。

「Weblog」の便利なことと1つは、過去に書いたり 画像として残したりした
ことが、キーワード検索で拾える、という点だと思います。
たとえば、「EARTH_blog」と「導調」の2ワード検索をかけると、
私が辿り着きたい「保管場所」が ちゃんと出てきますが、「ジオログ」までは
遡行してくれません。

なので、この「エキサイトブログ」上に、
過去に「ジオログ」でアップしたこと(の ほとんど全て)を、日時をそのままに
再アップすることにしました。(その地道な作業はいつ終わるのだろう。。。)
この log は、私にとって、私自身のアカシック・レコードのようなものなので。a0162412_1413551.jpg
[PR]
# by earth_index | 2016-11-13 14:14

150610_入口・索引・導調

a0162412_8462367.jpg
石ひとつ、錆びた釘1本 でもいいのです。
それが、連れていってくれるのなら。
どこへ? と問われれば、
どこか (いつか) へ、あるいは、どこへでも、と答えるしかありませんが、
私は ずっと そういう「入口」「索引」「導調」を探し、求めてきました。
( それが「物」である必要はないのですが。)



今回の『点店』のイベントの各店 (各人) 、
MAREBITOさん、書肆 逆光さん、教草さんの品物や展示には、
そういう「入口・索引・導調」がきっと見つかる…と、
それは私の個人的で偏った楽しみ方ですが、
いろんな楽しみ方 (~見つけ物) ができる豊かさに溢れていることと思います。



CONCEPT がかかえる駄物の中にも、
それらの欠片でも見出だしていただければ幸いです。
そんな思いで、6/12(金)からの『点店』イベントに臨みたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。

註:『点店』というネーミングの原案は『点々店』あるいは『点店展』でした。
   それは『・・・』( ≒ and so on ) を含意し、
  「尚も続く」という、継続や変化への意志も込めたものです。

[PR]
# by earth_index | 2015-06-10 09:00

150603_海

a0162412_882964.jpg
明け方、ソファに寝そべって うとうとしていたら、
床上1mくらいで (:私の耳元より50cmくらいの中空で) 、
微かに さざなむような音が聴こえた、ような気がした。
寝ぼけていたか、空耳か、何かの機械音なのか・・・
目を開けて耳をそばだててみるが、
そうすると、その音は遠ざかり、あやふやなで不確かな揺れになってしまう。
もう一度目をつむると、またその音が寄せてくる。
まるで、私が波打ち際に打ち寄せられた水死体でもあるかのように。
否、まだ打ち寄せられてはいない。波の音は、そして波は、私の上にある。
私は水深数十cmの遠浅の海の底に横たわっている。
音が聴こえているのだから、まだ死体でもない、のだろう。

「世界は私のところでぼけている」

浅瀬でよかった、と私は思う。
海は恐い。
大海原… その語の響きを裏切って、大きな深い海は、
私に原初的な恐怖を呼び起こす。
荒れる海や極寒の海などは想像を絶するし、
穏やかに晴れて凪いだ亜熱帯の海でさえ、
その深さを想像しただけで ぞっとする。
水深100mですら、光はほとんど届かず、もの凄い水圧で、
凍えるように冷たい。。。
それ以上の水圧は、私の脳を圧し潰してしまう。


子どもの頃、
夏、お風呂場で、バスタブに半分ほど水を溜め、水遊びをしていて・・・
時に、自分が巨人になったような空想に遊ぶことがあった。
ここは深い内海。
否、内海でさえなく、
海水はバスタブの結界を無視して、遙か遠くまで世界を満たし、
私は私の巨大な体躯を曲げ、膝を抱えた姿勢で、海の中に座っている。
両の膝小僧が、まるで双子の孤島のように、海に浮かんでいる。
私は斜め上空からその丸いツルッとした対の膝孤島を俯瞰しながら、
一体 私の体はどのくらいの大きさで、
この海はどのくらい深いんだろうと想像する。
そして、恐くなる。
軽くパニクりながら、私は慌てて界を結び、バスタブ海から逃げ出して
陸に上がる。


ソファの上に戻ろう。
私の耳に届いている、部屋を渡っている、この音の正体は何だろう。。。

(つづく… かな?)
[PR]
# by earth_index | 2015-06-03 08:08

150423_記憶

  …美的行為は何らかの驚きの要素を欠くことができないし、
  記憶から驚きを得ることは困難である

という言葉にずっと引っ掛かっています。
それは、J. H. ボルヘスの『ハーバート・クエインの作品の検討』に登場する作中
人物の知見です。( ボルヘス自身がそう思っているわけでは勿論ありません。)
無論、「記憶から驚きを得ることは困難」 …な はずはなくて、
むしろ、
「きれぎれの断片化した『記憶』が不意によみがえる時のなまなましい新鮮さを、
言語化する」 ことこそが文学的営為だと思う私の考えはあまりに偏狭でしょうか。
a0162412_16403583.jpg

[PR]
# by earth_index | 2015-04-23 16:16

150422_反芻

ギリシア語の合成語(?)「ヒステロン・プロテロン( Hysteron Proteron )」は「前後倒置」と訳されているようですが、この訳だけでは何のことか分かりません。
「プロテロン」は 「より先、前」、「ヒステロン」は「より後、後」の意味のようで、その意味だけから追えば「後・前」となり、「もののあとさき」といった意味になりそうですが、「前・後」ではなく「後・前」と並べていることが違和感を呼び、「どういうこと?」と考えさせる契機をも「ヒステロン・プロテロン」という語が含んでいた、ということなんでしょうか。。。
この語が「不当仮定の虚偽」と訳されると( …実際「解説」的には、そう説明されているようで... )、「意味」 は分かりやすくなりますが、何か大事なニュアンス( と言うか、引っ掛かり方 )がこぼれ落ちてしまう気がします。
つまり、「ヒステロン・プロテロン」とは、「論証されるはずのものが前提に含まれている( 含まれてしまっている )」ような「誤謬」のことなんでしょうが、だとすると、大抵の「問題」は「ヒステロン・プロテロン」だと言えそうな気がします。
「問題」は大抵の場合、「解決( 解法 )」 を「問題」自体の中に含んでいるので。
「不可知」のものはあくまで「不可知」であり、「問題」と意識されて初めて「問題」は「問題」とされる、という意味で。

あることについて 「考えても答えは出ない( という確信がある )」 場合、大抵の人はそのことについて考えることをやめる(~諦める)か やり過ごす(~ホッタラカす)。それが「健康」的というものでしょう。
だけど、中には「不可知」と思えても、頑張ってしまう人もいて、頭の強度≒耐力が、それなりに強ければ( あるいは、しなやかだったら?)ツブレないで済むかもしれませんが、大抵、ツブレてしまう。心が病み、おかしくなる。
と言う私自身が、多分、ツブレ加減。

グダグダ書いてしまいましたが、簡単に言うと・・・
私はずっと「生きること」「生きて在る」ことの意味を考えているのでした。
その1つの答えは、答えとしての候補( ≒仮の答え )は、「イマヌエル・カントの言う『物自体』を垣間見たい」と思っているから、ということです。・・・「それは知り得ない( 知られ得ない )」とカント自身が明言しているにもかかわらず。

註:以上は「ヒステロン・プロテロン」( 2008年11月22日・576記 ) の再掲です。
a0162412_18314133.jpg

[PR]
# by earth_index | 2015-04-22 18:18